田舎の大自然

いつも田舎の悪口を書いているが、今回は
「それでも田舎はやめられない」ということを書きたい。


まず朝は、うぐいすの綺麗な鳴き声で目を覚ます。
信じられないくらいの美しい鳴き声だ。
東京の時はよく電車のうるさい音で目を覚ましたものだ。
(線路沿いに住んでいたことがあった)

そして、一杯の水を飲む。
この水道水が全く臭みがなく、ピュアな水で実に美味い。
夏でも冷たくて美味いのがここの水。
東京の姉の家の水道水などは飲めたものじゃない。
東京に住んでいる頃は水の味なんて気づかなかったが、同じ水でもまるで味が違うことに気づいた。
田舎ではミネラルウォーターなんて買う必要はない。

出勤するために外に出る。
空気がとても旨い。
やっぱり木々がたっぷりと酸素を出してくれているのだろう。
そこに浜からの潮風が入り、なんとも言えない優しい香りとなって身体を癒してくれる。

田舎はほぼ車社会なので、車で出勤。
毎日通っていて見慣れているはずの景色だが、いつも感動する。
もちろん住宅や店はあるのだが、地平線に見えるのはビルではなく荘厳な山並みだ。
(東京ではビルやマンションに囲まれ、まず地平線を見ることはできなかった)
山並みは四季折々いろいろに変化する。
その変化を日々感じながら出勤するのである。
(東京では満員電車との闘いの日々だった)

休みの日には、歩いて海に出掛ける。
裸足になって砂に触れ確かに地球に立っている感触を確かめる。
海に足を入れ水の冷たさを確かめる。
水平線を眺め、地球が丸いことを確認する。
心地よい波の音を聴きながら、美味い空気を肺一杯に吸い込む。

夜は、驚くほどに星が光り輝く。
まるで東京で観たことのあるプラネタリウムだ。
夏には空をじーっと見上げ、流れ星を4つ5つ数える。
(夜も明るい東京ではそもそも夜空を見上げることはなかった)

これ、すべて本当のこと、本心なのだ。

どんなに田舎の人々が面倒くさい存在であっても、
これらの自然をもはや手放すことなんて出来ない。
特に東京で生まれ育った人間にとってはね。

だから自分は死ぬまで田舎に住むだろう・・・。


 

田舎の仕事

なんでこういい加減な仕事をするんだろう・・・と思うことがとても多いのは以前も書いたが、今回も最悪と思う出来事があった。

家の駐車場とその周辺の舗装工事をお願いしたのが1月後半。
で、「2月中には」という回答をもらって見積もりもしてもらった。

2月中旬になっても何も言ってこない、後半、末日になっても電話すら来ない。

3月になって、こちらから電話してみたら「もう少し待って欲しい」と言われた。

おい、まずそっちから連絡してきて「大変申し訳ありませんが、もう少し待っていただけませんか?」と言うのが筋では?

で、結局次に連絡があったのは4月に入ってから。

もう業者を変えようかと思ったが、社長が直接訪問してきて「来週から着手しますので、よろしくお願い致します」と言ってタオルを持ってきたので、まあ水に流すことに。


ようやく工事が始まった。
2〜3日で終わると言う。

家の玄関前のステップは、年寄りがいるので2段にして欲しいと頼んだ。
向かいの家を指さして「ああいう感じにして欲しい」と具体的に頼んだ。

それについて一度も確認せずに、勝手に工事を続け終了した。
その二段ステップを見てみると、斜めになっていた。
依頼したのと まるで異なる。

段にしてほしかったのに、斜めの坂にしてしまったのだ。
年寄りにとってこんな斜めのステップは危険極まりない。
年寄りでなくとも、我々でも夜になると見えずらいので危険だ。

すぐに業者に電話して、こういう風に伝えたつもりはない、二段にして欲しいと言った。

翌日、私が仕事に行っている間にすぐに対応したらしいが、その時も一度も家には顔を出さず、つもり「こんな感じで良いか」と確認もせず、勝手に作って帰ったらしい。

今回は納得いくステップになったのでOKとしたが、普通は確認するでしょう?

このやり方って、信用は失うし、二度手間になるし、何か良いことあるのかな?と、不思議でならない。

プロフェッショナルな意識をもって、もっとちゃんと仕事しようよ。

そういいたくなる業者でした。

でもね、田舎にはこんな風な仕事ぶりの業者が なんと多いことか。
これで成り立ってるんだから楽だよね。
ライバルがいないからね、これでも存続できちゃう。

もうちょっと緻密に真剣にサービスということを考えて欲しいなぁ。

 

田舎の生活


題名の通り「人間関係や暮らしやすさ」という面で、都会と田舎を比べた場合、都会の方が良いと思われる。

人間関係自体はどこにいても同じで、嫌な人間、合わない人間はどこにでもいる。

しかし、そんな人間関係が24時間どこまでもついてくるのが田舎だ。


人は生活の中で、家族、会社、地域社会、趣味のサークルなど、いろんな人間関係の中で暮らしている。

都会の生活の場合、上に挙げた要素それぞれが独立しているので、例えば、家族で嫌なことがあっても会社は全く別物。地域社会で嫌な奴がいても、趣味のサークルは全然別の人たち・・・なのである。

でも、田舎の場合、ほとんど全部が同じメンツだったりする、あるいはつながっているのである。

例えば端的に分かりやすい例で言えば、家族で食事に行くと、会社の人間がいて、隣りの家の人もいて、サークルの人がそこで働いている、なんてことが起きるのである。

そして、最悪なのは、隣りの家の人と会社の人は知り合いだとか。

そんなことが日常茶飯事なのである。

だから、会社で嫌なことがあっても家に帰れば全く別の世界、サークルに参加してストレス発散、といった都会的な暮らしができないのだ。

だって、どこに行っても知ってる顔があり、知ってる顔同士がつながっていたりするのだから。

みんなと仲良い人間、誰とでもストレスなく付き合える人間、嫌な輩のいない社会であれば、田舎暮らしの方が快適かも知れない。

でもそんな人はあまり聞いたことないし、そんな人は現実として1割もいないでしょう?

であれば、「人間関係という視点での暮らしやすさ」は都会の方がずっとずっと暮らしやすいのである。

都会しか経験のない人には分からないだろうけど、どこに行っても知っている顔があるって嫌なもんですよ・・・(ToT)

 

田舎の人々

ズバリ田舎の人は太っている人が多いと思う。
まあ田舎と言っても山村、漁村、農村・・・いろんなスタイルがあるから、ひとことで「田舎」と括れないのは分かっている。
「私の住んでいる田舎では」ということでご容赦願いたい。^^

イメージとして(あくまでイメージとして)は、田舎の人は働き者だけど貧乏=粗食=痩せている、という図式が成り立つと思うのだが、人ごみの中で観察していると、なんと太っている人が多いことか。

なんで???と考えてみた。

太っている人の服装を観察してみた。
そして生活や行動を観察してみた。

なるほど、そっか・・・


前も書いたかと思うが、
都会の人は電車やバスなどの公共交通機関が移動手段の人が多い。
しかも電車で乗り換え乗り換え2時間通勤とか普通にある。
それだけでも凄いエネルギーを使うし、しかも歩くのが速い。

一方、田舎の人は主な移動手段は車。
家の玄関出たら座って職場に行き、着いたらまた座る。
カロリー消費量が全然違うと思う。

しかも、公共交通機関は人が多い。
それは「見られる」ということ。
車通勤、それは「見られない」ということ。
だから、信じられないけどジャージで講座とかに来るわけで・・・。

「見られる」意識って人の体型とかに大きく影響を与えているのではないかと思ったしだい。

なんだか、地味な服を着て、のっそりのっそり歩く太っちょ。
見られてる意識がないから、腹がデブっと出ていても恥ずかしくもない。
身体をゆすりながらお相撲さんのように歩くことも、汗でビショビショになることも恥ずかしくない。

そういう人が田舎には多いのではないか。
だから太っている人がやたらと多いのではないか。

冷静に考えると、太っていることは健康に悪いのは明白。
そして、(遺伝もあるかとは思うが)だらしない食生活を送っているイメージもたっぷり。

ならば、自分でコントロールするべきなんじゃないかなーと思う。
そしてその第一歩としては、「見られている」という意識が必要なのではないだろうか。

 


田舎の人々

田舎であればあるほど「地元意識」が強くなるようだ。
これはむしろいいことだと思ったりもする。
うらやましいと言うか・・・。

例えば、高校野球。
ものすごい地元意識である。

県民総出で我が県の高校を応援する。
仕事中もテレビを付けて観戦する職場も多い。

自分の県が負けると、今度は地方応援が始まる。
私のところなら東北地方。
東北ならどこの県でも応援するのだ。
テレビを観れなかった人は「青森どうだった?」と。
私としては「えっ?青森の試合なんて観てないよ・・・」なのだが。


そもそも東京に住んでいた時は、
高校野球を「東京勢」としての視点では観ておらず、純粋に全国の高校頂点決定戦という視点で観ていた。

だから、特別に東京を応援するわけでもなく、都道府県に関係なくスゴイ投手や打者がいればそれを観たし、常連の強い高校があればそれを楽しんだ。
また、観ているうちに「この高校いいな」と思えば、出身に関係なく応援した。
公平な目でトーナメントを楽しんでいたのだ。

東京の人って意外とそういう人が多いのではないだろうか。


考えてみると、東京に住んでいる頃は「田舎どこ?」って会話が成り立ったけど、田舎に住んでると「田舎どこ?」って質問自体が存在しないのだ。
「出身はどこ?」という言い方はあるけど、「田舎どこ?」とは若干ニュアンスが異なる。

つまり、東京の人は「地元意識」が圧倒的に少ないのである。


逆に、田舎の人はとにかく地元意識が強く、それが如実に出るのがスポーツなんだなーとつくづく思う。

野球でも相撲でも、地元チーム、地元プレイヤーがいれば無条件で応援する。
一方で私は東京出身のプレイヤーなんて全く意識したことない。

地元意識って、偏った見方しかできなくなるというデメリットもあるけど、感情移入できるので楽しいというメリットもあると思う。

地元みんなで盛り上がるってのも悪くないと思う。
ただ、それが田舎じみていて恥ずかしいなぁとも思ったりすることもある。
やっぱり東京的な考え方の方がスマートでいいなぁと思うことも しばしばあるのである。